ライフハックの見すぎは良くない
人が死んだ時に思うこと
最近身近な人の不幸が2回あった。
こんな時は悶々といろんなことを考えてしまう。
そのたびに思うのは
お葬式とかで辛い気持ちになっていても
その人の子どもが元気に生きているのを見ると(元気というのは大事ですね)
すごく希望を感じるということ。
「あの人は今ここに確実に受け継がれているんだ」
そんな気持ちになる。
やはり人のどこかが続いていっていることは
生き物としてすごく大事なことなんじゃないか。
あと意外と覚えているのは、その人が何か料理を作ってくれたこと。
料理というのは誰でもできることのように思えて
血肉となる食物を提供するという意味で
特別な行為なのかもしれない。
旅立った人たちが安らかに眠れますように…
充実するために生きているのかな
過去を振り返って幸せな気持ちになることって、
辛い、楽しいというよりは、
精一杯自分で考えて行動したことだと思っている。
スカスカで頑張れなかった、夢中になれなかったことは、
ラクだったとしても、あんまりいい思い出じゃないよなぁ
辛い、楽しいという基準で分けられないどころか、
結構些細なことでも、頑張ればなにかしらついてくる。
いや、頑張ればという言い方はあんまり良くないかな
頑張るということばには、なにか辛い思いをしてやるという意味を感じる。
辛い思いをしてやる必要はないと思う。
夢中になってそのことを考えられれば。
そうすれば充実した人生にはなると思う。
どうやって夢中になるのか、
充実することが人生の目的なのか、
それはわからないけど。
好きな理由がはっきりしない
最近、「なんでそれがすきなの?」
という問いにうまく答えられないことが多い。
ここで紹介したような聞いている音楽だったり、
会社のことだったり、
明確な理由を持って答えられないことが多い。
でも自分の中ではたしかに好きで、
理由を言えないことが悪いことかというと、
必ずしもそうじゃないんじゃないかと思う。
就活で自己分析やって、自分はこういう人間でこういうことが好きなんだって
分かったつもりになったって、
自分の幅をせばめているだけかもしれないし、
考え方が硬くなっちゃったりすると感じた。
自分の中にあるはっきりしない感情や
理由の持てないものも
大事にしていこうと思う。